清教徒のサタンが、なぜ中世紀のデヴィルより怖ろしいものであったかと言えば・・・
それはサタンが偶然と運の全領域を支配していると見なされ、自己を運にゆだねる者は誰でも、ただちにサタンの掌中に陥ちるとかんがえたからであります。
彼らは日常、賭博によって起きる諸悪業を見るにつけて、遊戯に使うカードや骸子をおそれました。
それでカードのことを悪魔の書物と呼び、いわゆる素人勝ち(初心者が練達者を向こうにまわして案外な大勝を博することがあるのをいう)などは、サタンが新しい犠牲者を自分のしかけたわなに引きこむ誘惑であると見倣しました。
・・・以上のようなことのすべてに比較してみると、カソリック教徒のイタリーにおける一般的な考え方は、ひどく異なっています。
イタリーでは、運・偶然は悪魔に属していないで、あくまでも神の掌握するところであると考えられていました。
イタリーにおける富籔の幸運数字は33、および63ときまっていますが、これはキリストの享年と、マドンナの享年から来ているのです。
この考え方の基盤は、運の女神がキリストの神に背馳せず、じつは全能の神によって創り出され、その神の意にしたがっているところの使わしめであるというにあります。
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